嫌われる勇気:「自分で決める」の究極系?アドラー心理学がすごい

2019-01-15

年始は神奈川の実家で2週間もゆっくりしていたのだけど、ある時姉が図書館から借りてきた「嫌われる勇気」を勧めてきた。

タイトルを見て、最初は
(嫌われる勇気かぁ…嫌われる勇気はだいぶあると思うから俺は大丈夫かな…w)
と思っていたんだけど、
持ち歩いていた本は読み終えたし、Kindleは彼女に貸出中なので結局読んでみることに。
ところがこれがめちゃくちゃいい本だった…!
年始からいきなりすごい本を読んでしまった。

嫌われる勇気、と言われると
「他人の言うことなんて気にしなくていいんだよ、勇気をもって自分を信じてやるべきことをやって…(以下省略)」
というただのポジティブな励まし系の本かと思っちゃうんだけど、まったく違った。
深度でいうと子ども用プールと日本海峡くらい差がある。

本書はアドラー心理学の入門書兼決定版を書くことを目的に書かれた本で、
読み終わる頃には世界の見方を変えさせるほどの劇薬を含んでいる。
アドラー心理学は、心理学という名前は使えどソクラテスやプラトンといった哲学の2大巨頭とならんで「第3の巨頭」とも言われる、人間のあり方を問うような哲学と地続きの思想。
なので本書では伝統的な哲学の手法である「問答」を通してアドラーの考え方を紐解いていく対話篇の形が取られている。

人生に絶望し、人は変わることのできないと信じる、とある「青年」が、
「世界はシンプルであり、人生もまたシンプルである。人は今すぐ変わることができるし、幸せになれる」と説く「哲人」の噂を聞きつけ、
怒りに燃え、その「哲人」を説き伏せてやろうと訪問する。そこから2人の長い「対話」が始まる。

今回は、
「目的論」
「課題の分離」
という2つのキーワードからアドラーを考察してみたい。

「目的論」

アドラーの個人心理学は、すべてを目的論に立脚して説明する。そのため、
フロイトなどの原因論的な考え方である「トラウマ」などは一切否定している。

「過去の出来事が原因でトラウマがある。それゆえに今こういう状態がある。」というのが原因論的な世界観。
過去は変えられないので、もし本当に過去が原因で今があるなら、僕らにできることは何もないことになる。
だけどそれじゃあ過去に同じトラウマがあった人が全く同じ結果にならないとおかしいのではないか。
学校で仲間はずれにされたことのある人がもれなく全員引きこもってリストカットしているだろうか?

目的論では、人の行動には全て「目的」があって、その目的を達成するためにその状態を自ら選んでいると説明する。
よって、サイコロは今の僕らの手の中にあることになる。

例えば引きこもりになってしまう子供は、なにか過去の出来事があってそのせいで引きこもっているのではなく、
はじめに引きこもると決心していて、その目的を達成するために様々な理由を作り出している
その目的がかなっている間は、引きこもるという行為はその人にとって善(役に立っていること)なのだ。

人は特別良くあったり、特別悪くあることは我慢できても、普通であること、そのままの自分を受け入れることは怖くて耐えられない
だから「特別良く」あれなかった人は、「特別悪く」あってでも、どうにかして居場所を探そうとしてしまう。

しかし、純粋な意味での「悪」を欲する者など、ひとりもいない。

人は「ここにいてもいいんだ」と思える居場所を求めている。そのままの自分を受け入れられるよう勇気づけしてあげることが大事になる。

過去は全く関係ないし、今この瞬間自分が違うライフスタイルを選べば、人は変わることができる。

「課題の分離」

アドラーは承認欲求を否定する。他人がどう思うかはコントロールできないし、自分の幸せを他人任せにするのは人生の嘘であるから。

自分は自分の課題に集中する。
それに対し他人がどう評価するかというのはその人自身の課題であって自分は関知しない。
他人を援助はできても、変えることはできない。褒めたり叱ったりしてコントロールしようとしてもいけない。
「馬を水辺に連れてくることはできるが、水を飲ませることはできない」から。

誰の課題なのか?をまず考える。
その行為の結果を究極的に引き受けるのは誰か?と問うことで、誰の課題なのかを知ることができる。

自分は自分の課題に集中する。他人の課題には干渉しないし自分の課題に干渉もさせない。
これは冷たいようにも聞こえるが、むしろ他人の課題に干渉することの方が自己中心的な考えから来ている。
なぜか?これについては本書でじっくり。驚くと思う。

そして課題の分離を発展させると、次のステップ「嫌われる勇気」が見えてくる。
人に嫌われるということは他人の期待のために生きるのを辞めること。
つまり、自由であることとは人に嫌われることである

自由を得て、幸せであるためには、
「神よ、私に変えられないものを受け入れる平静と、変えられるものを変える勇気、そしてそれを見分ける知恵を与え給え」
というニーバーの祈りにあるように、
自分の変えられないもの(過去に起きたことや、他人など)を変えようとしない「肯定的なあきらめ」
変えられるもの(これからどうするか)を変える「勇気」
それを見分ける「知恵」
が必要。(ストイシズムの定義ともかぶるな。)

ありのままの自分を受け入れて、他社からの承認を必要としなくなったとき、人は自由と幸福を選ぶことができる。
人を仲間として見て、上下関係ではなく横のつながりで対等な「人として」付き合うことができる。

過去も未来も僕らには関知できないしすべきでもない内容。
ゆえに世界はシンプルであり、人生もまたシンプルである
人は今すぐ変わることができるし、幸せになれる。

僕らにできることは、今このときに集中して、自分のダンスを踊ること。 

今、自由を選ぶ。今、変わることを選ぶ。今、幸せになる。

読み終わる頃にはそんな勇気をくれた本だった。

続編となる「幸せになる勇気」もその翌週に読んだのだけど、これもまた素晴らしかった。
ただ、絶対に先に「嫌われる勇気」を読んでから、しかもできればそれから一寸おいてから読んでもらいたいのであまり何も言わないでおく。

続編でとくに印象に残ったのは、アドラーがとても誤解されやすい学問だということ、そして最後の方にでてくる「シンプルであり続けることは難しい。試練はなんでもない日々である。はじめの一歩は感動的で、ターニングポイントになるが、本当に試されるのは、歩み続けることの勇気。」といった内容。

著者の言葉を借りると、
一作目「嫌われる勇気」はアドラー心理学の全体像を提示する「地図」のようなもので、
二作目「幸せになる勇気」は日々の生活の中で進む方向性を示す「コンパス」のようなもの。

「すべては自分で選べる」ことや「過去も未来も存在せず、今だけが本当に存在している」といった考えは僕も日頃から信じていたけど、
それをものすごく論理的に解説してくれていて、すっかりアドラーにハマってしまった。

今年はアドラーと、ストイシズム、瞑想をもっともっと深く学んで実践していく年になりそうだ。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

同じく誤解されやすいストイシズムについてはこの本がめちゃくちゃ良かったです。
良き人生について―ローマの哲人に学ぶ生き方の知恵

人は変わるということについて、物理的にも脳が変わる話→
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