瞑想 ストイシズム 皿を洗うために皿を洗う

2019-03-07
カテゴリー: 心の豊かさ

皿洗いをするために皿洗いをすること

もし皿洗いするときに、それが終わってから飲むお茶のことを考えているとしたら、
その人は皿洗いをしている間にその場にいることをできないでいる。
まだ存在していない未来に吸い込まれて、
その間生きることができなくなっているのだ。
もし皿洗いもできなければ、その人はお茶を飲むこともできないだろう。
お茶を飲みながらその次どうするかを考えているのだから。
皿を洗うときには皿を洗うことが人生で一番大事なことであるべきだ。
それが皿の洗い方を知っているといことだ。
ーThick Nhat Hahn “The Miracles of Mindfulness”

もしその場にいることを覚えれば、自分の時間は無限大に増える。

僕の場合は大学生の時バイトをしているときにふと気がついた。

もし僕がアルバイトをしながらその間中ずっと、
仕事の後はこれしようとか早く終わらないかなーとか考えていたら、
その間僕は生きていないのと一緒じゃないか。
その間の時間は存在していない。
我慢して終わる時間を待っている状態。

働いている時間も自分の時間として生きることができたら、その間の5~6時間も無駄にしないですむんだ。

その間はその行為そのものを楽しむんだ。
そうすればすべての時間が自分の時間になり、時間は無限に広がる。

死を想うことについて

メメント・モリ

死、と聞いて 温かい、優しい気持ちになることは少ないかもしれない。

けど、死を想うことは、今に100%生きることを助けてくれる。

ストイシズムの瞑想の仕方で、当たり前に思いがちな大切なものを認識するために、
家族や大切な人を失うことを想像する方法がある。

そしてそれは妄想でなく現実に起こり得ること。
「失ってから大事さに気づく」必要などないはず。
今この瞬間、ここに在って、大切なものを大切にするのはすぐに始められる。

*“これが人生最後の瞬間かのように心の準備をしよう。何ひとつ先延ばしにしないように。その日その日を精算しよう。最後の仕上げをするかのように日々を扱うものには、時間が足りなくなることはない。
” *
Seneca

またはエピクテートスが言うように、「毎日死ぬ」。
死を想うことは、今この瞬間の生を100%生きることである。

”過去は過ぎてしまってもう存在しない。未来はまだ起こっておらず存在しない。今だけがあなたに与えられている。だから今のことをプレゼント(英語で現在)と呼ぶのだ。”
ーかしこい人

ストイシズムについて

ストイシズムは「自ら辛い思いをしたがる人」のような文脈で使われがちだけど、
実際はそうじゃない。
これは幸せになるための実践的哲学。

その本質は、「自分のコントロールできるものとそうでないものを分け、前者だけに集中する」ことにある。

どんな刺激が外からあるか、自分の行動が外側からどう判断されるか、
これは自分ではコントロールできない。

それにいちいち反射的な反応をしていたら幸せになれることは運でしか無い。

動物と人間の違いは、全て本能的に反応しなくていいこと。
ある出来事があったら一律の反応を返す変わりに、
自分の理性で、自分がどうそれを受け止めるかを選ぶことができる。

そしてそうした自分の選択は、コントロールできる。

よくある「水が半分入ったコップ」の考察にあるように。
「半分しか入ってない」と思うか、
「半分も水がある」と思うか、
はたまた「水が半分、空気が半分でコップはいっぱいだ」と思うか。

ストイシズムはどんな状況に置かれたとしても、自分でその受け取り方を選ぶことでいつでも幸せになれるんだ。

瞑想について

今この瞬間に100%意識をあてて、「今、ここにいる」状態がマインドフルネス。

マインドフルネスは一日中できるんだけど、
一日の中で1分でも10分でも、座って瞑想をすると、その他の時間でこのマインドフルネスを経験しやすくなる。
一旦、頭の中がからっぽになってアスリートのいう「ゾーンに入る」状態を経験しているから、やりやすい。

そして自分の脳のデフォルトの状態は、1番よく経験している脳波の状態に設定される。
だからいつもストレスを感じている人は、何もないデフォルトの状態ではストレスを感じるというわけ。
瞑想をすればするほど、心地よい幸せな状態がデフォルトになるんだ。

瞑想をするのはそれが理由。マインドフルに生きて、人生をフルに経験するため!

エッセンシャリズムについて

プロダクティビティとか効率性の話は好きだけど、もっと大事なのは優先順位。

もし、ある作業をすごく効率的にできたとする。
でも自分にとって本当は価値の無いことをうまく出来たからといってなにかいいことはあるだろうか?

仕事で価値を産みたいのにSlackのメッセージやメールが来るたびに高速で返すのは本当にあなたのすべきことだろうか?
テニスがうまくなりたいのに、ラケットも握らずひたすらベンチプレスをするのがいいのだろうか?
ベンチプレスをし続けるとベンチプレスがうまくなるし、そのうちより大きい重量を数多くこなせるようになる。
けどフィールドにでてテニスを実際にしなければテニス自体はうまくならないのではないか?
もっとメタな話をするとなぜテニスがうまくなりたいのか?
たまたまテニス部に入ったとかで、うまくなる「べき」と思わされてはいないか?

自分にとって何が大事かは、自分と向き合って自分で決めるしかない。
僕は幸せになることが大事だし、あなたもそうじゃないのかなとは思うけど、これは押し付けられない。

でも、もし幸せになることが大事なら、優先順位の低いことに人生の時間の大半を取らせてしまうのは辞めるべきだと僕は考える。

優先順位を考えるのに役立つのは、実はこれもまた、死を想うこと。

もしこれが人生最後の日だったとして、あなたは何をしたいか?
死を前にして、何があなたにとって大事だと感じるか?

繰り返し、あなたが何を「すべき」かではなく(客観性の嘘に影響される可能性があるから)
あなたが何をしたいかを、裁くことなく、問いかけてみてほしい。

”最後の日には、あなたがどれだけ獲得したかよりも、どれだけ与えたかが問題になる。”
ーかしこい人

もしお金も時間も場所もなんの制約もないとしたら、僕はなにをしたいだろうか?
それを想像して、すべてノートに書き出す。
それができたら、完璧な1日はどんなものかを時間軸で書いてみる。

朝何時に起きて、自分はだれとどこにいいて、起きたらまずこれをして、朝食にはなにを食べて…

やってみると、今からでも叶えられることはいっぱいあることに気づくし、今とのギャップも把握できるからそれに向けてやるべきことも見えてくる。

あなたは毎日死ぬ。

そしてそれは素晴らしいプレゼント(現在)を意味する。

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